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ついにロシアまで
サンクトペテルブルグに着きました。
ヘルシンキからサンクトペテルブルグに向かう列車にて書いた文章をアップします。
あとでゆっくり写真アップするわ。
今からチケット買いに行く。
ヘルシンキ2日目の夕方、エジプトとイスラエルの国境で出会ったフィンランド人兄弟の兄(もしかしたら弟なのかも)と約2ヶ月振りに再会した。
なかなかこんなことはないよね。
だいたい旅先で会った人とは「またいつか」と言って別れ、次に会うことは本当に稀。たとえ日本人同士でも稀だと思う。
今はフェイスブックがあるから連絡を取り続けることは本当に簡単になった。10年前に旅行していたときはメールアドレスを交換してた。でも、なかなか続かない。では今から20年前に旅行していた人達はメールアドレスではなく、住所を交換していたんだろうか。
フィンランド人の兄と、ヘルシンキ駅の前にあるお店でガーリック風味のポテトを食べながらビールを飲んで、イスラエルで別れたあとの出国審査がどうだったかなんかを話す。
彼もシベリア鉄道に乗った事があるので、実際に乗った事のある人からの情報は貴重。食べ物はどうしたのとか、出入国のことだとか、列車内で電源は確保できるのかとか、インターネットはとか。
曰く「シベリア鉄道は本当にすることが何もなくて退屈」だそう。
予想通りだけど、シベリア鉄道に乗車中のインターネットは期待できない。彼が言うに、試してはいないけれどもモスクワを出たら北京まで無線のインターネットを拾う事はないであろう、とのこと。ということで、残念ですがモスクワを出発してからは、多分このブログの更新は一時中断します。
さて、ヘルシンキに戻るけど、路面の状態が悪い。ストックホルムもこんな感じだった。
人や車が通る場所は、溶けかけの雪と水分と砂や泥がぜんぶごちゃ混ぜになっていて、そこを歩くので靴や靴下にも浸水してくる。雨と違って流れないのが具合がよくない。
日本も北の方はこんな状態なんでしょうか。大阪では雪が積もるということがないので、こんなの見る事はない。フィンランド兄は、雪が溶けないからマイナス20度の方が良いと言っていた。冗談なのか本気なのか。
長靴があれば本当にいいと思う。ヨーロッパは日本と違って本当にかわいい長靴がたくさん売ってるよね。
つい先週はヘルシンキもマイナス20度だったそうで「マイナス20度を体験していない!モスクワも今はもう0度付近だし」と言ったら、シベリア鉄道はロシアを横断しているんだから、途中の停車駅では3月でもきっとマイナス20度も有り得ると思う、とのこと。
フィンランドの北の方ではマイナス40度になる日もあるらしく、そして信じがたいけれども人はそこでも暮らしている。
すごいね。
ガーリックポテトとビールを終えて、ちょっとしたビルの12階にあるカフェでコーヒーを飲んだ。ヘルシンキは高いビルがないので12階からでも街を見渡す事ができる。大阪だと考えられない。
フィンランドと日本を比べると、国土面積はほとんど同じなのに人口は確か約22倍の差があるのだ。ヘルシンキから車で30分行けば「 middle of nowhere 」に行く事ができるとのこと。日本では大阪市内から30分運転したところではカントリーサイドにさえ行く事はできない。そもそも日本に「 middle of nowhere 」なんてある?北海道に行けばあるのかしら。
「ところでヘルシンキではどこに泊まっているの?」
「フェリーで会った女性が泊めてくれてるの。クロサーリって駅の近く」
「クロサーリ?クロサーリで泊まってるの?」
「うん、小さい島」
「俺もクロサーリに住んでるんだけど…」
「え、本当に?」
なんと驚いたことに、フィンランド人の兄はわたしが泊まらせてもらっているペトラの家のすぐ裏に住んでいた。
なんというか、奇妙な偶然である。イスラエルで出会った兄と、フェリーで会ったペトラが広いヘルシンキで背中合わせに住んでいたなんて。
兄は、もう多分使わないから、ということでロンプラのシベリア鉄道本を5ユーロで譲ってくれた。なんと有り難い。今回の旅で、わたしは2冊ものロンプラのお下がりを譲り受けることができた。
さて、いま乗車中の列車について。
この列車、2等席だけれどもとても快適だし、車両もきれい。車内アナウンスもフィンランド語とスウェーデン語、そして英語の3カ国語対応です。
車内は空いていて、乗客はまばら。
そして窓の外は夢のような景色が広がっています。
なんだか白黒写真を見ているような彩度の低い景色ですが、アメイジング!!
フィンランドの出国審査は、ボーダー駅の停車中にオフィサーが車内に来てパスポートコントロール。特に質問などもなし。パスポートにスタンプが押されたのはハンガリーに入国したとき以来、1ヶ月振り。EU加盟国を何カ国か移動したのにまったくスタンプは押してもらえない。
そのあと列車が発車して、ロシア側パスポートコントロール。列車が動いている間に3人くらいオフィサーがパスポートと入国カードを回収しにくる。そして次の駅に着いてからパスポートが全員に返された。押された入国スタンプは、なぜか鮮やかなオレンジ。
入国カードは点線で半分に切られて、片側は入国時に回収され、片側はパスポートと一緒に渡される。これは出国時まで大切に持っておくべきカードだそうで、紛失したらえらいことになる、と色々なガイドブック等に書いてある。
今は入国カードの制度がない国も多くなったよね。日本もいつの間にかなくなったでしょう。前は海外旅行すると、入国のたびに色々と用紙に記入して、パスポートコントロールのときにホチキスで留められていたのを覚えている。パスポートがホチキスの穴だらけになってた。で「日本人用」って印刷された細い紙片がパスポートに残ってたでしょう!
でも、さすがロシア。
絶対になくしてはいけないというカードも、ホチキス止めなしである!
ヘルシンキからサンクトペテルブルグに向かう列車にて書いた文章をアップします。
あとでゆっくり写真アップするわ。
今からチケット買いに行く。
ヘルシンキ2日目の夕方、エジプトとイスラエルの国境で出会ったフィンランド人兄弟の兄(もしかしたら弟なのかも)と約2ヶ月振りに再会した。
なかなかこんなことはないよね。
だいたい旅先で会った人とは「またいつか」と言って別れ、次に会うことは本当に稀。たとえ日本人同士でも稀だと思う。
今はフェイスブックがあるから連絡を取り続けることは本当に簡単になった。10年前に旅行していたときはメールアドレスを交換してた。でも、なかなか続かない。では今から20年前に旅行していた人達はメールアドレスではなく、住所を交換していたんだろうか。
フィンランド人の兄と、ヘルシンキ駅の前にあるお店でガーリック風味のポテトを食べながらビールを飲んで、イスラエルで別れたあとの出国審査がどうだったかなんかを話す。
彼もシベリア鉄道に乗った事があるので、実際に乗った事のある人からの情報は貴重。食べ物はどうしたのとか、出入国のことだとか、列車内で電源は確保できるのかとか、インターネットはとか。
曰く「シベリア鉄道は本当にすることが何もなくて退屈」だそう。
予想通りだけど、シベリア鉄道に乗車中のインターネットは期待できない。彼が言うに、試してはいないけれどもモスクワを出たら北京まで無線のインターネットを拾う事はないであろう、とのこと。ということで、残念ですがモスクワを出発してからは、多分このブログの更新は一時中断します。
さて、ヘルシンキに戻るけど、路面の状態が悪い。ストックホルムもこんな感じだった。
人や車が通る場所は、溶けかけの雪と水分と砂や泥がぜんぶごちゃ混ぜになっていて、そこを歩くので靴や靴下にも浸水してくる。雨と違って流れないのが具合がよくない。
日本も北の方はこんな状態なんでしょうか。大阪では雪が積もるということがないので、こんなの見る事はない。フィンランド兄は、雪が溶けないからマイナス20度の方が良いと言っていた。冗談なのか本気なのか。
長靴があれば本当にいいと思う。ヨーロッパは日本と違って本当にかわいい長靴がたくさん売ってるよね。
つい先週はヘルシンキもマイナス20度だったそうで「マイナス20度を体験していない!モスクワも今はもう0度付近だし」と言ったら、シベリア鉄道はロシアを横断しているんだから、途中の停車駅では3月でもきっとマイナス20度も有り得ると思う、とのこと。
フィンランドの北の方ではマイナス40度になる日もあるらしく、そして信じがたいけれども人はそこでも暮らしている。
すごいね。
ガーリックポテトとビールを終えて、ちょっとしたビルの12階にあるカフェでコーヒーを飲んだ。ヘルシンキは高いビルがないので12階からでも街を見渡す事ができる。大阪だと考えられない。
フィンランドと日本を比べると、国土面積はほとんど同じなのに人口は確か約22倍の差があるのだ。ヘルシンキから車で30分行けば「 middle of nowhere 」に行く事ができるとのこと。日本では大阪市内から30分運転したところではカントリーサイドにさえ行く事はできない。そもそも日本に「 middle of nowhere 」なんてある?北海道に行けばあるのかしら。
「ところでヘルシンキではどこに泊まっているの?」
「フェリーで会った女性が泊めてくれてるの。クロサーリって駅の近く」
「クロサーリ?クロサーリで泊まってるの?」
「うん、小さい島」
「俺もクロサーリに住んでるんだけど…」
「え、本当に?」
なんと驚いたことに、フィンランド人の兄はわたしが泊まらせてもらっているペトラの家のすぐ裏に住んでいた。
なんというか、奇妙な偶然である。イスラエルで出会った兄と、フェリーで会ったペトラが広いヘルシンキで背中合わせに住んでいたなんて。
兄は、もう多分使わないから、ということでロンプラのシベリア鉄道本を5ユーロで譲ってくれた。なんと有り難い。今回の旅で、わたしは2冊ものロンプラのお下がりを譲り受けることができた。
さて、いま乗車中の列車について。
この列車、2等席だけれどもとても快適だし、車両もきれい。車内アナウンスもフィンランド語とスウェーデン語、そして英語の3カ国語対応です。
車内は空いていて、乗客はまばら。
そして窓の外は夢のような景色が広がっています。
なんだか白黒写真を見ているような彩度の低い景色ですが、アメイジング!!
フィンランドの出国審査は、ボーダー駅の停車中にオフィサーが車内に来てパスポートコントロール。特に質問などもなし。パスポートにスタンプが押されたのはハンガリーに入国したとき以来、1ヶ月振り。EU加盟国を何カ国か移動したのにまったくスタンプは押してもらえない。
そのあと列車が発車して、ロシア側パスポートコントロール。列車が動いている間に3人くらいオフィサーがパスポートと入国カードを回収しにくる。そして次の駅に着いてからパスポートが全員に返された。押された入国スタンプは、なぜか鮮やかなオレンジ。
入国カードは点線で半分に切られて、片側は入国時に回収され、片側はパスポートと一緒に渡される。これは出国時まで大切に持っておくべきカードだそうで、紛失したらえらいことになる、と色々なガイドブック等に書いてある。
今は入国カードの制度がない国も多くなったよね。日本もいつの間にかなくなったでしょう。前は海外旅行すると、入国のたびに色々と用紙に記入して、パスポートコントロールのときにホチキスで留められていたのを覚えている。パスポートがホチキスの穴だらけになってた。で「日本人用」って印刷された細い紙片がパスポートに残ってたでしょう!
でも、さすがロシア。
絶対になくしてはいけないというカードも、ホチキス止めなしである!
by southend-on-sea
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